2011年12月19日月曜日

11/12/19

北朝鮮の朝鮮中央テレビと朝鮮中央放送、平壌放送は19日正午からの「特別放送」で、最高指導者の金正日(キム・ジョンウィル)総書記が死去した、と伝えた。69歳だった。また、後継者として三男・正恩氏(キム・ジョンウン)の名前を報じた。

金総書記は、世界の中でも最も圧政を敷く指導者のひとりとみられていた。
金総書記のこれまでの人生を簡単に振り返る。

公式報道では、金総書記が生まれたのは1942年2月16日。(旧ソ連の極東地域で誕生した説が有力)

“偉大なる指導者”と呼ばれる、父の故金日成主席の息子としてふさわしいエリートコースを歩む。

22歳で、朝鮮労働党で活動を開始。

1974年(32歳頃)には、故金日主席の後継者に内定。

1991年には、軍の最高司令官に就任。

1994年、金日成主席、死去。
その後、父親の死で空席となった国家主席の座には就かず、国家の最高職責と位置づけられた国防委員長に就任し、金正日体制がスタート。軍隊を優先する「先軍政治」を採用する。

水害・干ばつで餓死者が続出。

積極的な対外活動を進め、2000年には南北首脳会談、2002年は史上初めて日本の総理大臣である小泉首相(当時)と会談。

2000年には韓国との雪解けの機運が高まり、訪朝した韓国の金大中(キム・デジュン)大統領と南北首脳会談を行ったが、金総書記は核開発を推し進め、国際的な孤立を深めていく。

2006年、地下核実験を実施したほか、弾道ミサイルも発射した。

金総書記の健康不安が報じられたのは2007年。

今年10月、中国の李副首相と会談。視察報道はあったが、これを最後に公の場所に姿を見せていなかった。

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